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ブロンズィーノの生涯

1503年–1572年
ブロンズィーノは1503年、フィレンツェ近郊のモンティチェッリに生まれました。本名はアーニョロ・ディ・コジモです。ポントルモに学び、長く仕事をともにしました。初期の《聖家族》や神話画を見ると、近づいた身体や鮮やかな色に師とのつながりが感じられます。
1530年代初めにはペーザロの宮廷で働き、若いグイドバルドの肖像を描きました。1539年のコジモ1世とエレオノーラの婚礼にも関わり、やがてメディチ家の宮廷で重要な仕事を担います。甲冑や絹、真珠を描き分ける細やかさは、一族の富や立場を伝える肖像に生かされました。
ただし、整った大人の肖像だけの画家ではありません。笑う幼児、詩を示す女性、海神の姿を借りた提督も描きました。ブロンズィーノ自身も詩を書き、文筆家たちと交流しています。手にした本や、飾りの中の文字に気づくと、見た目の精密さから、その人が親しんだ言葉の世界へ進めます。
宗教画では、ねじれた身体や重なる手を大きな物語へ組み合わせました。神話画では、美しい肌のそばに、欺きや痛みを思わせる細部も置いています。こうした洗練された形や込み入った身ぶりは、16世紀のマニエリスムを考える手がかりです。また、宮殿の壁画やタピスリーの意匠にも取り組み、場所や素材に合わせて絵の働きを広げました。
1563年にはフィレンツェのアカデミア・デル・ディゼーニョの創設に加わり、アレッサンドロ・アッローリら次の世代ともつながりました。晩年にも大きな宗教画を手がけ、1572年、フィレンツェで69歳で亡くなります。ここで紹介する画家の肖像は、アッローリが壁画の中に描いたもので、自画像ではありません。
絵を描くほかに詩も書きました。詩人ラウラ・バッティフェッリとは、肖像だけでなく詩のやり取りでもつながっていました。
出典:ナショナル・ギャラリー:ブロンズィーノ / ティッセン=ボルネミッサ美術館:ブロンズィーノの生涯 / メトロポリタン美術館:The Drawings of Bronzino / イタリア文化省・ICCD:ラウラ・バッティフェッリ / イタリア文化省・ICCD:アッローリ、三位一体と画家の肖像 / ストロッツィ宮:ブロンズィーノとトスカーナ(2026-10-20 確認)
制作時年齢は概算。生没日は1503年11月17日・1572年11月23日。紹介肖像はアレッサンドロ・アッローリの壁画に含まれる肖像部分で、自画像ではありません。
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