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アルブレヒトの生涯

1471–1528
アルブレヒト・デューラーは1471年、金細工師の子としてニュルンベルクに生まれた。父の工房で基礎を学んだ後、画家ミヒャエル・ヴォルゲムートのもとで修業し、絵画だけでなく木版画はんがや銅版画にも力を注いだ。
若い時期に各地を旅し、1494年にはニュルンベルクへ戻って工房を開いた。その前後から自分の姿を繰り返し描き、《自画像(1498年)》では服装と室内を使って、職人以上の社会的地位をもつ画家として自分を示した。
1500年の《毛皮の上着を着た自画像》では、正面向きと左右対称に近い形を採用した。当時のキリスト像を思わせる型を使いながら、髪や毛皮、指先を個人の特徴として細かく描き、自画像の役割を広げた。
デューラーは二度イタリアを訪れ、とくにヴェネツィアで同時代の絵画を研究した。《若いヴェネツィア女性の肖像》の柔らかな光や、《薔薇冠の祝祭》の大きな人物構成には、北方で身につけた細密描写とイタリアで学んだ方法が重なる。
版画はデューラーの名を広い地域へ伝えた。木版画連作れんさく《黙示録》、銅版画《騎士と死と悪魔》《書斎の聖ヒエロニムス》《メランコリアI》では、白黒の線だけで光、材質、奥行き、象徴を組み立てた。
1520〜1521年にはネーデルラントを旅し、日記に出費、贈り物、会った人物、見た品々を書き残した。画家は宮廷や都市の人々と交流しながら、自作の版画を交換や販売にも用いた。
晩年には人体比例、測量、築城術について本をまとめた。見ることと測ることを結びつけ、画家の経験を言葉と図で共有しようとした仕事である。1526年には《四使徒》をニュルンベルク市参事会へ贈った。
1528年、デューラーはニュルンベルクで56歳で死去した。絵画、版画、自画像、理論書を横断した仕事は、北ヨーロッパの画家が知識と判断をもつ創作者であることを、作品と行動の両方で示した。
自画像を繰り返し描き、版画をヨーロッパ各地へ流通させた。
出典:ナショナル・ギャラリー(ロンドン)作家解説 / ナショナル・ギャラリー(ワシントン)作家記録 / アルテ・ピナコテーク《四使徒》(2026-09-22 確認)
生涯の年次と作品情報は所蔵館記録に照合し、病気の原因など確定できない説は本文から除いた。
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