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コレッジョの生涯

1489年頃–1534年
コレッジョの絵は、赤ん坊が母の衣へ伸ばす手から、大聖堂の天井いっぱいに渦うずを巻く天使までを行き来します。小さな仕草で人の気持ちを伝えながら、建物の天井を空へ変えてしまうほど大胆に描く。その二つの力を持った、イタリア・ルネサンスの画家です。
本名はアントニオ・アッレグリ。1489年頃に、北イタリアの町コレッジョで生まれたと考えられています。通称はこの故郷の名に由来します。若い頃の修業には不明な点が多いものの、マンテーニャの遠近法えんきんほう、レオナルドの柔らかな明暗、ヴェネツィアの色彩表現を学び、自分の描き方へ育てていきました。
1514年には、故郷のサン・フランチェスコ聖堂の祭壇画さいだんがを引き受けた契約が残っています。やがて活動の大きな舞台となったのがパルマです。修道院しゅうどういん長の居室、サン・ジョヴァンニ聖堂、そして大聖堂へ。注文される場所が変わるたびに、部屋や教会の形に応じた、新しい見え方を考えていきました。
肌から影への移り変わりが柔らかく、人物は微笑みや体の触れ合いで結ばれています。ただし、穏やかな画家というだけではありません。《キリストの哀悼》では母子の苦しみを迫るように描き、《四聖人の殉教》では、激しい動きと救いへの信仰を重ねています。親しみやすさと切実さは、どちらも人の感情を伝える力から生まれています。
晩年には、マントヴァのイザベッラ・デステの書斎を飾る寓意画や、フェデリーコ2世ゴンザーガのための神話画も制作しました。雲、鷲、白鳥、黄金の雨へ姿を変えるユピテルの物語では、肌と空気、羽と布の境目が見どころになります。教会で培った光や体の動きの表現が、古代神話にも生かされています。
1534年、故郷コレッジョで亡くなりました。生涯には分からない点が残り、しばしば語られるローマ訪問にも確実な文書の裏付けはありません。一方、下から仰ぐ人物の描き方や、見る人を巻き込む天井の空間は、後のバロックの画家たちへ大きな影響を与えました。作品を見比べるなら、まず《籠の聖母》《昼》《夜》、そしてパルマ大聖堂の天井画をたどると、その幅がつかめます。
「コレッジョ」は故郷の町の名。本名はアントニオ・アッレグリです。
出典:ナショナル・ギャラリー:コレッジョ / ウフィツィ美術館(フィレンツェ):幼子を礼拝する聖母 / コレッジョ財団:生涯 / 米国議会図書館の肖像版画(個別配布記録)(2026-10-19 確認)
生年は1489年頃で、年齢は概算です。紹介画像は19世紀前半のヘンリー・メイヤーによる肖像版画で、本人の確実な自画像とは断定していません。
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