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カミーユの生涯

1796年–1875年
ジャン=バティスト=カミーユ・コローは1796年にパリで生まれ、1875年に同地で亡くなった。家業の衣服商に進む代わりに、成人後に絵の勉強へ専念した。風景画家ミシャロンとベルタンに学び、自然を観察する習作しゅうさくと、画面を組み立てる古典的な風景画の両方を身につけた。
1825年から1828年の最初のイタリア滞在では、ローマや周辺の景色を戸外で描いた。《ナルニの橋》《テルニの滝》には、土地の形とその場の光を素早くつかむ関心が見える。帰国後も旅を続け、フォンテーヌブローの森などフランス各地を描いた。一方、サロンには物語を伴う大きな風景画を出し、《荒野のハガル》などで評価を求めた。
《シャルトル大聖堂》は町の道と建物を見つめ、《朝、ニンフたちの踊り》は森の光に神話の人物を置く。コローの仕事は「見た景色をそのまま写す」ことだけではない。小さな戸外習作で得た形や色を、アトリエで別の風景へ組み直すこともあった。1850年代には名声が高まり、1855年のパリ万国博覧会で金賞を得た。
パリ郊外のヴィル=ダヴレーは家族にゆかりが深く、池と木々を繰り返し描いた。晩年の風景では灰色や淡い緑を重ね、細部を穏やかな空気の中に溶かす。《モルトフォンテーヌの思い出》のように題名へ「思い出」を入れた絵では、特定の場所の記録より、見た風景から生まれた気分が大切になる。初期の明るいイタリア習作と並べると、その変化が分かる。
風景画で知られるが、女性の人物画も数多く描いた。《手紙》《真珠の女》《読書する女》《シビュラ》を見ると、静かな仕草や視線、古い絵画を思わせる姿勢への関心が見える。作品には制作後の加筆や改作があり、年を一つに決めにくいものもある。コローは古典的な構成と戸外の観察を結び、その光の扱いで後の風景画家たちにも影響を与えた。
初期には明るいイタリア風景、晩年には灰緑色の静かな風景や人物像を描いた。
出典:ナショナル・ギャラリー(ロンドン)画家解説 / メトロポリタン美術館《荒野のハガル》 / ルーヴル美術館《モルトフォンテーヌの思い出》 / ナショナル・ギャラリー(ワシントン)コロー展(2026-09-26 確認)
初期戸外習作とサロン用風景画、後期の「思い出」風景・人物画を区別する。改作のある作品は制作年を単一年にしない。
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