クロード・ロランはクロード・ジュレの名で、1604年または1605年頃、ロレーヌ地方のシャマーニュに生まれた。若くしてイタリアへ移り、ローマでは風景画家アゴスティーノ・タッシの助手となった。ナポリや故郷に近いナンシーを訪れた後、1628年頃からローマを活動の中心とした。
ローマ郊外へ出て木々や空、川辺を素描し、それを工房で油彩画に組み立てた。実在の建物をそのまま記録するだけでなく、古代風の建築や想像上の港を加えた。手前の陰から遠い光へ視線を導く構成によって、静かな朝や夕方の空気を描き出した。
1630年代から40年代には田園や海港を描き、聖書、神話、古代の物語の人物を風景の中に置いた。《聖ウルスラの乗船》や《シバの女王の乗船》では、港の光が旅立ちの場面を包む。《パリスの審判》では重要な決断を下す人物たちを小さく描き、周囲の自然を大きく広げた。
完成した絵の構図を素描帳《真実の書》に記録したことでも知られる。この記録は、似た絵や偽物と区別する助けになったと考えられている。ロランの作品はローマの有力者だけでなく、後に英国などの収集家にも愛された。英国の画家ターナーは、とりわけロランの光と港の表現に強い関心を示した。
晩年も古典の物語を描き、《デロス島のアイネイアス》では旅人を神殿の広い眺めに置いた。最後の絵画とされる《シルウィアの鹿を射るアスカニウス》では、嵐の気配を戦争の始まりに重ねている。1682年にローマで亡くなった。現実の自然観察と想像の風景を結び付けた仕事は、後の風景画に大きな影響を与えた。
完成した絵の構図を素描帳《真実の書》に描き留めた。
出典:ロンドン・ナショナル・ギャラリー 作家記録 / メトロポリタン美術館 作家解説 / アシュモレアン美術館《シルウィアの鹿を射るアスカニウス》(2026-09-26 確認)
生年は所蔵館が1604年または1605年頃とするため、年齢も概数で表示。肖像は1777年の後世の版画で本人の自画像ではない。
間違いを見つけたら、教えてください →アフィリエイトリンク|このリンクから購入されると、運営者に報酬が入ることがあります。
この画家について本で読む
クロード・ロラン 一七世紀ローマと理想風景画
小針 由紀隆 著 / 論創社
ローマでの自然観察から理想風景画の成立、神話や聖書の主題までをたどる専門書です。クロード・ロランの作品をさらに深く読みたい方に向いています。
楽天ブックスで見る →