ジョット・ディ・ボンドーネは1267年頃、フィレンツェ近郊に生まれたと考えられている。初期の経歴には後世の伝記が多く、師をチマブーエとする話も確実な記録とは分けて扱う必要がある。
13世紀末からアッシジやローマ、フィレンツェなどで活動した。板絵の金地を受け継ぎながら、人物を重さのある身体として表し、視線や身振りで物語をつなぐ方法を発展させた。
代表的な仕事が、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂を覆う壁画群である。1303〜1305年頃、聖母とキリストの物語を連続する場面として描き、入口の壁に《最後の審判》を置いた。
《ユダの接吻》や《キリストへの哀悼》では、人物の配置、顔の向き、岩山の斜線が見る順序を導く。出来事を象徴の並びではなく、人が同じ空間で反応し合う場面として見せた。
フィレンツェの《オンニサンティの聖母》では、伝統的な玉座の聖母子を守りつつ、膝、胸、衣に明暗をつけて身体の量感を示した。天使も平面に重ねず、玉座の周囲へ段階的に配置した。
1320年頃の《東方三博士の礼拝》は小さな板絵だが、老王が幼子を抱き上げる親密なしぐさを見せる。宗教上の意味と、人物の自然な感情を同じ場面に収める特徴がよく分かる。
晩年はナポリやミラノでも仕事をし、1334年にはフィレンツェ大聖堂の造営責任者に任命された。鐘楼の設計にも関わったが、完成を見る前の1337年にフィレンツェで死去した。
ジョットを「ルネサンスを一人で始めた画家」と単純化することはできない。しかし、重さをもつ人物、感情が読める身振り、連続した空間は、14世紀以後のイタリア絵画に大きな基準を与えた。
1334年にはフィレンツェ大聖堂の造営責任者となり、鐘楼の設計にも関わった。
出典:スクロヴェーニ礼拝堂 公式案内 / メトロポリタン美術館 ジョット作品解説(2026-09-14 確認)
生没年、帰属、共同制作、制作年に幅がある箇所は所蔵館表記に合わせて限定した。
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