ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロは1696年、ヴェネツィアに生まれました。グレゴリオ・ラッザリーニのもとで学び、ピアツェッタやリッチ、さらに16世紀のヴェロネーゼからも多くを吸収しました。若いころの絵には深い暗がりと力強い身体があり、のちの明るい天井画とは違う出発点を見ることができます。
1720年代後半には、ウディネの総大司教宮殿を明るい壁画で飾りました。人物と空、描かれた柱や飾りが連なり、部屋を物語の舞台へ変えていきます。こうした仕事には、建築の遠近法を専門にしたメンゴッツィ・コロンナらの協力がありました。大きな装飾は、異なる技術を持つ人々が一緒につくる仕事でもありました。
ティエポロの仕事を知るには、完成した大作と一緒に、素描や油彩スケッチを見ると分かりやすくなります。人物の配置を試し、別の建物でも応用し、小さなカンヴァスで大きな天井の動きを考える。物語を壮大に見せる力は、そうした軽やかな線と筆の積み重ねに支えられています。一方、版画では、魔術師や骨などが集まる、答えの定まらない世界も描きました。
1750年には息子たちとヴュルツブルクへ移り、領主司教の宮殿を飾る仕事に取り組みました。大階段の天井では、見る人が階段を上る動きに合わせて、神々と大陸の寓意像が頭上に広がります。1753年にヴェネツィアへ戻ったあとは、ヴィッラ・ヴァルマラーナなどでも壁画を制作しました。父と息子のそれぞれの仕事を見分けることも、この時期を知る手がかりになります。
1762年、スペイン王カルロス3世のために働くため、息子たちとマドリードへ移りました。王宮の天井に王国をたたえる大きな寓意を描く一方、晩年には穏やかな聖母や、余白を大きく取った宗教画も残しています。1770年、マドリードで没しました。空間いっぱいに広がる祝祭と、小さな絵の静けさの両方が、この画家の世界を形づくっています。
「ジャンバッティスタ」とも呼ばれます。息子のジャンドメニコとロレンツォも画家で、大きな装飾の仕事を手伝いました。
出典:ナショナル・ギャラリー:ティエポロ / ウディネ教区美術館:貴賓の回廊 / メトロポリタン美術館:ティエポロ / メトロポリタン美術館:座る河神、櫂を持つニンフとプット / バイエルン宮殿管理局:ヴュルツブルク宮殿の大階段 / ヴィクトリア国立美術館:プラド美術館展公式解説 / アムステルダム国立美術館:ティエポロの肖像(2026-10-21 確認)
制作時年齢は生年1696年からの概算です。ウディネの連作は制作期、河神の素描は様式にもとづく年代を表示しています。ラビア宮殿の壁画の制作年には資料による幅があります。肖像は息子ジャンドメニコ作の没後の版画で、自画像ではありません。
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