← 作品の一覧

オノレの生涯

1808年–1879年
オノレ・ドーミエは1808年にマルセイユで生まれ、1879年にヴァルモンドワで亡くなった。家族とパリへ移り、若い頃に版画はんが制作の技術を身につけた。七月王政期の風刺雑誌『ラ・カリカチュール』や新聞『ル・シャリヴァリ』に作品を発表し、政治と都市の日常を見つめた。リトグラフは同じ絵を多数刷れるため、画家の線は美術館より先に新聞の読者へ届いた。
《ガルガンチュア》では国王ルイ=フィリップを巨大な食いしん坊として描き、その風刺を理由に投獄された。《過去・現在・未来》や《議会の腹》では権力者の顔と体を誇張する。一方、《トランスノナン街》は住民の殺害を題材に、笑いを消して被害の重さを伝えた。政治版画という同じ技法でも、からかいと悲しみを使い分けていた。
1835年の厳しい出版規制の後は、都市で暮らす人々の仕事や習慣を題材にすることが増えた。弁護士に扮する架空の詐欺師ロベール・マケールや、見世物を眺める群衆などを繰り返し描く。登場人物の仕草は大げさでも、相手との距離や小さな利害に目を向けている。実在の政治家一人を批判するだけでなく、同時代の社会全体を観察した。
1848年の革命後には共和国を母親の姿にした油彩ゆさい習作しゅうさくを描き、1851年には政治的な架空の人物《ラタポワル》を立体にした。絵画では《版画の収集家》《洗濯女》《三等客車》に、働く人や移動する人々の姿を置く。板やカンヴァスへの油彩は、新聞向けの版画とは別の速さで形と光を試す場になった。風刺画家という呼び名だけでは、その活動の広さを言い表せない。
晩年にはドン・キホーテや吟遊詩人のような文学・歴史上の人物も繰り返し描いた。1871年の《哀れなフランス》では、戦争で傷ついた国を幹の折れた木にたとえている。生涯を通じて人物の表情、姿勢、集団の動きを鋭く捉え、版画、素描そびょう、油彩、彫刻を行き来した。個々の作品には複数の刷りや異なる版があり、同じ題名でも所蔵先と制作年を見分けると理解しやすい。
《三等客車》や《洗濯女》では、都市で働く人々の姿を油彩でも描いた。
出典:オルセー美術館 ドーミエ紹介 / メトロポリタン美術館 19世紀フランス写実主義 / クリーブランド美術館《トランスノナン街》 / ナショナル・ギャラリー《ラタポワル》(2026-09-26 確認)
政治風刺と社会風刺、版画と油彩・素描・彫刻を区別する。複数の刷り、後年鋳造、不確かな年記は単一の制作年にまとめない。
間違いを見つけたら、教えてください →
アフィリエイトリンク|このリンクから購入されると、運営者に報酬が入ることがあります。

この画家について本で読む

オノレ・ドーミエ(パルコ美術新書)
ユルク・アルブレヒト 著/小谷民菜 訳 / パルコ出版
政治風刺、都市の人々、晩年までの活動をたどる日本語の入門書。出版年が古いため、購入時は商品ページの在庫を確認してください。
楽天ブックスで見る →