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ジョンの生涯

1776–1837
ジョン・コンスタブルは1776年、イングランド東部サフォークのイースト・バーゴルトで生まれた。父はストゥア川沿いの製粉所や船を持つ事業家で、川と農地は幼い頃から身近な風景だった。
家業を手伝った後、1799年にロンドンのロイヤル・アカデミー美術学校へ入った。古い巨匠きょしょう構図こうずを学びながらも、自分が知る土地を直接観察して描く道を選んだ。
野外では小さな油彩ゆさい素描そびょうで、雲、光、水、樹木の変化を素早く記録した。完成作はその場で一気に描いたものではなく、複数の習作しゅうさくと記憶をもとにロンドンのアトリエで組み立てることが多かった。
1816年に長く交際していたマリア・ビックネルと結婚した。翌年ロンドンへ生活の拠点を置いても、フラットフォードやデダムなど故郷のストゥア川周辺を主要な主題にし続けた。
1819年の《白い馬》から、幅約6フィートの大きな風景画をロイヤル・アカデミーへ続けて出品した。《干し草車》もこの一群に含まれ、身近な農村の仕事を歴史画に匹敵する大画面で示した。
コンスタブルはロマン主義の風景画家に数えられるが、空想の異国より、よく知る土地の天候と生活を重視した。空を風景の光を決めるものと考え、雲の習作を日付や天候の記録とともに残した。
イギリスでは評価がゆっくりだった一方、《干し草車》は1824年のパリのサロンで金賞を得た。その自然な光と筆触は、フランスのロマン主義や後の風景画家に影響を与えた。
妻マリアを1828年に亡くした翌年、ロイヤル・アカデミー正会員に選ばれた。1837年にロンドンで死去するまで、サフォーク、ソールズベリー、ハムステッドなどを描き、見慣れた自然が絶えず変化することを作品に残した。
《干し草車》はイギリスより先に、1824年のパリで大きな評価を得た。
出典:ロンドン・ナショナル・ギャラリー コンスタブル略歴 / ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館 コンスタブル入門 / ロンドン・ナショナル・ギャラリー 《干し草車》 / イェール英国美術センター 《ハドリー城》(2026-09-12 確認)
野外習作と完成作の制作場所を区別し、ロマン主義という語を画面の特徴とともに説明した。
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この画家について本で読む

コンスタブルの手紙 英国自然主義画家への追憶
C・R・レズリー 著/ジョナサン・メイン 編/斎藤 泰三 訳 / 彩流社
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