ケーテ・コルヴィッツは1867年、当時プロイセン領だったケーニヒスベルクに生まれた。版画、素描、彫刻を通して、労働者の暮らし、子どもを失う悲しみ、戦争に反対する声を表した。1945年にモーリッツブルクで亡くなるまで、同じ主題を技法を変えながら考え続けた。
1891年、医師カール・コルヴィッツと結婚してベルリンで暮らし始めた。夫の診療所には貧しい人々も訪れ、彼女は生活の困難を身近に見た。劇作家ハウプトマンの《織工》に刺激を受け、六枚の《織工の蜂起》を制作した。ただし戯曲の挿絵や1844年の事件の再現ではなく、自分の時代の問題として描いた。
続く《農民戦争》では銅版画を重ねて抵抗と敗北を扱う。第一次大戦が始まった1914年、若い息子ペーターが戦死した。長い制作を経て発表した木版画《戦争》は、志願する若者よりも親、寡婦、母と子など残された人を中心に置く。大きな黒い面と白い線で、悲しみを個人の顔だけに閉じ込めなかった。
1920年代には《ロシアを助けよう》《二度と戦争をしない》などのポスターを作り、美術館の外にいる人にも訴えた。1919年にはプロイセン芸術アカデミーの正会員となり、女性として初めてその地位を得た。1933年にはナチス政権のもとでアカデミーを退かされる。晩年まで制作を続け、1941年のリトグラフ《種を粉にひいてはならない》にも、次の世代を守る願いを込めた。
《織工の蜂起》と《農民戦争》を版画連作として制作した。
出典:ケーテ・コルヴィッツ美術館 公式略歴(2026-09-28 確認)
出生・婚姻・息子の戦死・アカデミー・ナチス下の経緯は公式略歴を照合。晩年作は権利条件が未確定のため今回の作品画像に採用していない。
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