← 作品の一覧

ルーカスの生涯

1472–1553
ルーカス・クラーナハ(父)は1472年、現在のドイツにあるクローナハで生まれた。若い時期の記録は少ないが、1501年頃からウィーンで活動し、宗教画、肖像画、版画はんがを制作した。姓のクラーナハは出身地に由来する。
1504年の《エジプト逃避途上の休息》は、署名と年記のある最初期の重要作である。聖家族を植物と山の広がる風景へ置き、後の宮廷画とは違う、自然を細かく見る若い時期の特徴を示す。
1505年までにザクセン選帝侯フリードリヒ賢公の宮廷画家となり、ヴィッテンベルクへ移った。肖像、祭壇画さいだんが、装飾、版画まで幅広い注文を受け、長く宮廷の視覚表現を支えた。
1508年には翼のある蛇を紋章として授けられ、以後の作品や工房作にこの印が現れる。年記と蛇の形は作品を見分ける手がかりになるが、印があるだけで本人一人の筆と断定はできない。
クラーナハは大きな工房を率い、二人の息子や弟子たちと制作した。依頼の多い肖像や宗教画では構図こうずを反復し、同じ人物像を複数の場所へ届けたため、現在も本人作と工房作の区別が研究されている。
宗教改革者マルティン・ルターとは友人関係にあり、ルターと改革運動の関係者を繰り返し描いた。簡潔な背景と明確な横顔による肖像は、印刷物とともに新しい宗教運動の顔を広めた。
一方で《ヴィーナスとクピド》《ユディト》《泉のニンフ》のような神話や古代物語も多く扱った。細長い身体、宝石や薄布、森の風景を組み合わせ、宗教画とは異なる宮廷的な鑑賞の場を作った。
晩年は選帝侯ヨハン・フリードリヒに従って各地へ移り、1552年にヴァイマルへ移住した。1553年に同地で死去した。長い生涯と工房の活動を通して、宮廷、都市、宗教改革を結ぶ大量のイメージを残した。
翼のある蛇の印を使い、息子や弟子と大規模な工房を運営した。
出典:ナショナル・ギャラリー(ワシントン)作家記録 / ベルリン絵画館《エジプト逃避途上の休息》 / ウフィツィ美術館 宗教改革の肖像(2026-09-22 確認)
本人作と大規模工房の制作を区別し、工房帰属のルター像は作品欄でも明記した。
間違いを見つけたら、教えてください →