マザッチョ、本名トンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニは1401年、現在のサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノに生まれた。短い活動期間のため、修業の経緯には不明点が多い。
1422年にはフィレンツェの画家組合に登録され、同年の日付をもつ《サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画》を制作した。複数の板をまたいで床と玉座の線をつなぎ、一続きの空間を作った。
年長の画家マゾリーノと協働し、《聖アンナと聖母子》では聖母と幼子をマザッチョ、背後の聖アンナなどをマゾリーノが担当したと考えられている。共同制作でも画風の差が見える。
フィレンツェのブランカッチ礼拝堂では、1420年代半ばにマゾリーノと聖ペトロ伝の壁画群を制作した。《貢の銭》では統一した光と遠近によって、三つの時点を一つの空間にまとめた。
《楽園追放》では、アダムとエヴァの裸身に強い明暗を与え、恥と苦痛を身振りで表した。《新信者の洗礼》では、寒さに震える人物など日常の身体反応を宗教物語に加えた。
サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の《聖三位一体》は、建築家ブルネレスキと同時代に整えられた線遠近法を使い、平らな壁の奥へ礼拝堂が続くように見せる。
1426年にはピサのサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂のために多翼祭壇画を制作した。後に解体され、中央の《聖母子》や上部の《磔刑》は現在別々の美術館にある。
1428年、マザッチョはローマで死去した。26歳ほどの短い生涯だったが、重い身体、同じ方向から差す光、統一された空間は、15世紀フィレンツェ絵画の重要な出発点となった。
26歳ほどで亡くなったが、ブランカッチ礼拝堂は後代の画家が学ぶ場所になった。
出典:ナショナル・ギャラリー 略歴 / フィレンツェ市 ブランカッチ礼拝堂(2026-09-14 確認)
生没年、帰属、共同制作、制作年に幅がある箇所は所蔵館表記に合わせて限定した。
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