パルミジャニーノは1503年、北イタリアのパルマに生まれたフランチェスコ・マッツォーラの通称です。若くして絵を描き、パルマで働くコレッジョの作品から学びました。初期の祭壇画や小さな宗教画にも、長い身体、重なる人々、光で顔を浮かび上がらせる工夫が見えます。
1524年にローマへ向かい、ラファエロやミケランジェロの作品を学びました。凸面鏡のような自画像を教皇クレメンス7世へ贈ったのも、この時期です。ローマの祭壇画では、細長い空間の中へ大きな聖人と遠い聖母子を配置し、見る人の視線を強く動かしました。
1527年のローマ略奪の後はボローニャへ移りました。祭壇画や個人の祈りのための絵に加え、エッチングにも取り組みます。描いた線に近い感覚を版へ移すこの技法や、ほかの版画家との協力は、彼の形を遠くへ伝える力にもなりました。色の豊かな絵と白黒の版画を見比べると、輪郭への強い関心が分かります。
1531年にパルマへ戻り、ステッカータ聖堂の装飾を引き受けました。同時期の肖像では、服の質感を細かく描きながら、肩や手、首の釣り合いを思い切って変えています。《長い首の聖母》も、その美しさを自然な比例だけでは捉えられない代表作です。こうした洗練された形は、マニエリスムを考える大切な入口になります。
聖堂の仕事は契約をめぐる争いとなり、画家はカザルマッジョーレへ移ります。1540年、37歳で亡くなり、装飾計画も《長い首の聖母》も未完のまま残りました。後世に語られた錬金術の逸話だけで生涯を説明せず、城の小部屋、礼拝堂、肖像、版画という仕事の広がりから、その短い活動を辿っています。
《凸面鏡の自画像》は、鏡のゆがみを描いたうえに、絵を支える木そのものも凸面になっています。
出典:ナショナル・ギャラリー:パルミジャニーノ / フォンタネッラート2024年展:ジャンルカ・ポルディの調査解説 / ボローニャ国立絵画館:Giulio II e Raffaello展ガイド / ウィーン美術史美術館:凸面鏡の自画像 / イタリア文化省・ICCD:ステッカータのアーチ装飾 / ウフィツィ美術館:長い首の聖母(2026-10-20 確認)
制作時年齢は概算です。制作年代に異説がある作品も含みます。紹介肖像は1523〜1524年頃の《凸面鏡の自画像》の全体画像です。
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