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テオドールの生涯

1791年–1824年
テオドール・ジェリコーは1791年、フランスのルーアンに生まれ、1824年にパリで亡くなった。若くして馬を深く観察し、1812年の《突撃する近衛騎兵士官》と1814年の《負傷した胸甲騎兵》をサロンに出した。二点を比べると、兵士の勢いだけでなく、戦場を離れる不安定な姿にも目を向けたことが分かる。
1816~1817年にイタリアを訪れ、ローマの馬の競走を題材に多くの習作しゅうさくを作った。帰国後には、イタリアで見た遺跡を思わせる《夕暮れ―水道橋のある風景》にも取り組む。古い建物、荒れた空、走る馬など、主題を一つに絞らず、動きや大きさを画面にどう収めるか考え続けた。
1819年のサロンには《メデューズ号の筏》を出品した。1816年の難破を取り上げ、筏に残された人々が救助を求める瞬間を巨大な絵にした。神話の英雄でなく同時代の出来事を歴史画にした点が大きい。画家はモデルのジョゼフなどを個別に観察して習作を描き、それを群像の制作につなげた。
1820~1821年には英国に滞在した。競馬や馬に乗る女性を油彩ゆさいで、馬を運ぶ人々や石炭車をリトグラフで描いた。戦場の軍馬だけでなく、スポーツや働く場で人と関わる馬へ関心が広がる。印刷して広められる版画はんがの制作にも取り組み、油彩画とは違う線と濃淡を使った。
晩年には、当時の医療用語を題名に持つ人物の肖像や《石膏焼き窯》を描いた。肖像に残る過去の病名を、現代の医学的な診断として扱うことはできない。一人の顔を丁寧に見つめる姿勢と、馬や労働の風景を追う視線の両方に、ジェリコーの制作の幅がある。
《メデューズ号の筏》のためにモデルを観察し、習作を重ねた。
出典:ルーヴル美術館《メデューズ号の筏》作品記録 / メトロポリタン美術館《夕暮れ―水道橋のある風景》 / ウォルターズ美術館《ローマの騎手のいない競走馬》 / ヘント美術館《窃盗への執着を示す人物の肖像》(2026-09-26 確認)
エプソム・ダービーの題名は伝承として記し、過去の医学用語を現代の診断名として扱わない。
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この画家について本で読む

ジェリコー
中原たか穂 著 / KADOKAWA
画家ジェリコーと《メデューズ号の筏》の制作を描いた漫画。史実を確認する際は所蔵館の資料も参照できます。
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