← 作品の一覧

トマスの生涯

1727–1788
トマス・ゲインズバラは1727年、イングランド東部サフォーク州サドベリーに生まれた。父は毛織物業を営んでいた。10代でロンドンへ出て、版画はんが家ユベール・グラヴロや画家フランシス・ヘイマンの周辺で学び、フランスのロココとオランダ風景画の構成に親しんだ。
1746年にマーガレット・バーと結婚し、故郷へ戻った。若い時期の《コーナードの森》は、身近なサフォークの土地を大規模な風景画へ高めた作品である。同じ頃に妻と娘を描いた未完成の家族像には、注文主の前とは異なる私的な観察が残る。
1752年頃、イプスウィッチで肖像画家として仕事を始めた。《アンドリューズ夫妻》では、新婚の二人と広い農地を同じ重さで描いた。土地は美しい背景であると同時に、夫妻の財産と社会的立場を示す。肖像と風景は初期から別々の分野ではなかった。
1759年、裕福な客が集まる温泉保養地バースへ移った。全身肖像の注文が増え、ヴァン・ダイクの優雅な姿勢を学びながら、衣服や背景を素早く流れる筆触で描く方法を発展させた。肖像の収入が生活を支えた一方、本人は風景画を好んだ。
1768年に設立されたロイヤル・アカデミーの創設会員となったが、作品を掛ける高さなどをめぐって関係は悪化した。1774年にはロンドンへ移り、国王ジョージ3世と王室の注文も受けた。主要な肖像画家として、レノルズと並び称された。
ゲインズバラの成熟期の肖像は、古代神話やルネサンス美術への引用を前面に出すレノルズと異なり、同時代の衣装と生きた身ぶりを重視する。《シドンズ夫人》や《朝の散歩》では、顔の似姿と布、羽根、木の葉を同じ軽い筆触でつないだ。
風景画は特定の土地をそのまま写すとは限らず、木、岩、水、人物、家畜を室内で組み合わせた。《水飲み場》にはルーベンスの影響があるが、激しい動きより夕暮れの静けさを選ぶ。田園は労働の現場である一方、都市の観客が望む理想像でもあった。
1788年、ロンドンで亡くなった。肖像の注文に応えながら風景への関心を持ち続け、二つの分野を筆触と色で結びつけた。作品に登場する上流階級の富には、土地所有や植民地経済と結びつく例もあるため、優雅な外見だけで社会背景を消さない見方が必要である。
肖像画で成功したが、本人は風景画を描くことを強く好んだ。
出典:ナショナル・ギャラリー(ロンドン)作家解説 / ナショナル・ギャラリー《アンドリューズ夫妻》作品記録 / ナショナル・ギャラリー《水飲み場》作品記録(2026-09-22 確認)
風景画を好んだという記述は画家の書簡と所蔵館解説に基づく。肖像注文と植民地経済の関係は人物ごとに異なるため、画家や全作品を一括して断定していない。
間違いを見つけたら、教えてください →
アフィリエイトリンク|このリンクから購入されると、運営者に報酬が入ることがあります。

この画家について本で読む

西洋絵画の歴史2 バロック・ロココの革新
高階 秀爾 監修/高橋 裕子 著 / 小学館
18世紀イギリス絵画を、ホガース、レノルズ、ゲインズバラの展開とともに豊富な図版で解説する入門書です。二人の肖像観の違いも時代の中で比べられます。
楽天ブックスで見る →