ワシリー・カンディンスキーは1866年、モスクワに生まれた。大学では法学と経済学を学び、研究職へ進む道もあったが、29歳で画家を志してミュンヘンへ移った。
ミュンヘンで絵を学び、1901年には芸術家団体ファランクスの設立に参加した。初期には風景、騎手、ロシアの民話を描き、色と輪郭を次第に現実の見え方から離した。
ガブリエーレ・ミュンターと各地を旅行し、1908年頃から南ドイツのムルナウで制作した。山、教会、街を強い色面へ単純化する過程で、対象を描く絵から抽象への移行が進んだ。
1911年、フランツ・マルクらと年刊誌『青騎士』を構想した。同年刊行した『芸術における精神的なもの』では、色と形が外見の再現を越えて内面へ働く可能性を論じた。
第一次世界大戦の勃発後、ドイツを離れてロシアへ戻った。革命後は美術教育や博物館制度に関わったが、1921年末に再びドイツへ移り、翌年からバウハウスで教えた。
バウハウス期には円、直線、三角形など幾何学的な形が目立つようになった。ただし形を無感情な設計図として扱わず、それぞれが異なる緊張と「響き」を持つと考えた。
1933年にナチス政権がバウハウスを閉鎖すると、フランスのヌイイ=シュル=セーヌへ移住した。晩年は幾何学に有機体を思わせる柔らかな形を加えた。
1944年、ヌイイ=シュル=セーヌで77歳で死去した。単独で抽象絵画を発明したと単純化はできないが、制作、理論、教育を結びつけて抽象の可能性を広げた中心人物である。
29歳で法学の研究職を離れ、ミュンヘンで画家の道へ進んだ。
出典:グッゲンハイム美術館 カンディンスキー略歴・解説 / MoMA 作家・作品一覧 / レンバッハハウス美術館 コレクション(2026-09-14 確認)
「最初の抽象画家」と断定せず、具象から抽象への移行、ロシア時代、バウハウス時代を分けた。
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この画家について本で読む
カンディンスキー 世界は鳴りひびく
宇都宮美術館ほか 編 / マイブックサービス
日本各地の所蔵作を集め、具象から抽象へ進む画業と、日本での受容をたどる展覧会図録です。
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