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パオロ・ウッチェロの生涯

1397年頃–1475年
パオロ・ウッチェロは1397年頃に生まれ、15世紀のフィレンツェを中心に活動しました。本名はパオロ・ディ・ドーノ。「ウッチェロ」は鳥という意味の呼び名です。生地は資料によってフィレンツェともプラトヴェッキオとも記され、一つに確定せず示しています。
若い頃には彫刻家ロレンツォ・ギベルティの工房で学び、1425年にはヴェネツィアへ向かい、モザイクの仕事に携わりました。のちには大聖堂のステンドグラスの下絵も手掛けます。絵だけに閉じない、さまざまな素材や大きさの仕事を知っていた画家です。
フィレンツェでは、共和国の軍人を記念する騎馬像や、サリンベーニ家のための戦いの連作れんさくを制作しました。馬や甲冑を斜めから描く工夫、槍や建物で奥行きを作る工夫が、都市の誇りを示す大きな絵に使われています。一方、「緑の回廊」の大洪水では、直線が人々を圧迫するような空間を生んでいます。
ウッチェロの絵では、布の曲線、動物の姿、金色や鮮やかな色を好む装飾的な表現が、奥行きへの関心と同居しています。初期とされる金地の絵、小さな三連画、晩年の森の狩りを見比べると、見る人との距離に合わせて表現を変える幅が見えてきます。
1460年代にはウルビーノでも働き、息子ドナートとともに滞在しました。《聖体冒瀆の奇跡》はその時期の仕事で、場面を連ねる語りの巧みさと、題材に含まれる当時の偏見の両方を伝えます。1475年、ウッチェロはフィレンツェで亡くなりました。年齢は生年からの概算で、70代後半頃です。
「ウッチェロ」はイタリア語で「鳥」という呼び名。本名はパオロ・ディ・ドーノです。
出典:ナショナル・ギャラリー:学術目録の画家伝 / ナショナル・ギャラリー:ウッチェロ / アシュモレアン美術館:森の狩り / フィレンツェ大聖堂:ジョン・ホークウッドの記念像 / マルケ国立美術館:聖体冒瀆の奇跡 / ウフィツィ美術館:サン・ロマーノの戦い(2026-10-20 確認)
生年・制作時年齢・享年は概算。生地、初期作品の年代・帰属などの資料差を保持しています。紹介画像は1841年刊の没後の版画で、自画像や生前の確かな容貌ではありません。
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